ご予約はこちら
トップページ > 佐久穂の人々 > ヒゲめがね 豊田 陽介さん

PEOPLE

佐久穂の人々

ヒゲめがね 豊田 陽介さん

ヒゲめがね  豊田 陽介さん

短期移住からの決断

2018年、3人目の子どもが生まれたタイミングで、1年間の育休を取得しました。
せっかくだからと「やりたいことリスト」を書いたときに、家族みんなで自然豊かなところで暮らしてみたい、という思いがあって、短期移住できる場所を探していたんです。そんな時、たまたま妻の友人で佐久穂町に住んでいる方に、「すごくいい所だから」とご紹介いただいて、役場の移住担当の方にご相談したらとても良くして下さって。

もともと、妻に農業をやってみたいという思いがあったので、町が持っている新規就農センター(農家の修業をする方が泊まる場所)をお借りして、1か月の短期移住が実現できました。
短い期間ではありましたが、実際に暮らしてみることで、人の温かさを感じたり、採れたての野菜の美味しさ、瑞々しさに衝撃を受けたりと、佐久穂町の環境の良さを実感しました。

さらに、ちょうど大日向小学校が翌春開校ということで体験学習の機会があり、子どもを入れてみたら本当に楽しそうで、それまで通っていた川崎市の公立学校に行っている時とは表情が全く違ったんですね。

それを見て、「あぁこういうところで育ったらいいよなぁ」という思いに駆られまして。
短期移住で終わるつもりだったんですけど、妻との間で「移住しちゃう?」という話が盛り上がり、大日向小学校の入学願書を出すか出さないか…えぇい出しちゃえ!とエントリーをポーンと押したのが、文字通り最後のひと押しでした。

心の変化と葛藤

育休中に「自分で時間を融通する」という体験が出来たことで、大きな価値観の変化がありました。「何もしない時間がある幸せ」というのか、子どもと川に行って足を浸してただぼーっとするとか、眠くなったら寝るとか、畑に行って美味しい野菜を採ってくるとか、そういう時間がすごく人間的だなぁと、そんな感覚が芽生えたんです。

ところが、そのハッピーな1年を終えて仕事に復帰する時がやって来ると、思いもかけないことが起こりました。

都内に新幹線通勤するという条件のもと、とりあえず見つかった佐久平駅近くのアパートに住み始めましたが、始まった2拠点生活は思い描いていたイメージと違っていたんです。

月曜日の朝に東京へと向かい、金曜日までは都内で働いて、週末は長野で家族と過ごす、という暮らしは、佐久平という場所がいわゆる地方の中核都市といった様相なのもあってか、都内に住むのとそんなに変わらないなと感じたり、自分が長野に住んでいるという実感もあまりなかったりで、せっかく来たのに何となくモヤモヤしたものがありましたね。
しかも、あんなに楽しかった家族との時間は、極端に少なくなってしまいました。

この振れ幅があまりに大きかったので、「いやいや待てよ、一体何のために働いてるんだっけ?」っていうことを新幹線やバスの中で自分に問ううちに、震えが来たり涙が出たりと身体が拒否反応を示すようになりました。

本音では家族のもとで過ごしたいって分かっているんですけど、復職してすぐにやめることは出来ないっていう思いがあって。

そういう「社会人としての常識」と「家族と暮らしたいという本音」とのせめぎあいで、軽い鬱状態になっちゃったんですよね。そんな中、たまたま上司との面談で正直な思いを吐露する機会をいただけて、退社することになりました。

別に会社が嫌いだとか仕事が辛いとかっていうことは全くなかったんですが、結果的にその長い通勤時間が、自分にとって何が大切かっていうことに気づく時間になって、違う道を選ぼう、家族と暮らそう、という決断に至ったんですよね。

もちろん収入面の不安はあったんですが、短期移住中に妻が働いていた農家さんをはじめ、その周りに友人も出来ていたので、まぁ何とかなるんじゃないかって。妻も「あなたが家族の近くで働きたいなら、それはそれでいいんじゃないの」と応援してくれて、だからこそ踏み切ることができました。

とは言え、突然そうしたいと言ったら難しかったかも知れません。ただ育休を挟んだことで、家事・育児に向き合うことも体験して、いわゆる世間一般で言う家庭像だけが正解じゃないなと感じたし、妻と「今後“チーム豊田家”として、どう暮らしていこうか」という深い話が出来たんですよね。
同時に、それまで妻と雑談というものをしていなかったことに気づきました。たわいもない話なんですけど、そんな時間が楽しくて。そういうことが「豊かさ」なんだろうなぁと思いましたね。

そんなわけで、「家族を大事に、家族を中心に置きながら自分達らしく暮らす」っていうベクトルが、育休中に妻と僕の間で一致していたんです。それがあったから、完全移住するっていう話もわりとスムーズに進んだんだと思います。

常に「余白」を意識する

その後、転職活動をするもピンと来る仕事には出会えず、そもそも「家族ファースト」という軸をぶらさないためには起業するしかないのでは、と思い至りました。
もちろん開業するまでには不安もありましたが、多くの方からご支援もいただき、2020年6月に「カレー屋ヒゲめがね」を誕生させることができました。
現在は週に3日ランチタイムのみ、というスタイルで営業しています。

家族との時間が中心の暮らしになって、例えば子どもたちが「学校行きたくなーい!!」という時、「そりゃ行けない日もあるよね、子どもだって」と思えるようになりました。もちろん、「そんなこと言わずに行けよ」とは言いますけど、「じゃあ今日は家でのんびりするか」とも言える。時間に余裕があるだけで気持ちにも余裕が生まれて、子どもの気持ちの波にこちらが合わせる、それが出来るようになりましたね。
だから、空いてるところに全部詰め込んでいくのではなくて、必ず「余白」を残すように意識しています。余白があると、面白い話が来た時にすぐ乗っかっていけるじゃないですか。忙しいと、せっかくのチャンスが掴めないまま流れちゃったりするので、そうならないように常にゆとりを持たせています。
以前はサラリーマンとして、降ってくる仕事をどう打ち返すか、その打ち返し方もヒットを狙うのか、それともホームランを狙うのか、ということにずっと追われていて、頼まれたら嫌なことも全部引き受けていたんですけど、今では余白を残すためにお断りするっていうことを覚えましたね。
常に自分のワクワクすることから外れない、外れないから時間にゆとりができて、だからこそ次のワクワクが来た時にフルスイングできるっていう流れがうまく循環している気がします。

さらにラッキーだなと思うのは、大日向小学校の保護者仲間のみなさんが「楽しくやろうぜ!」っていうのを当たり前に理解してくれる方ばかりだということ。例えば、妻が僕らを置いて2泊3日の旅に出たりするんですけど、「えっ!子どもを置いて奥さんが2泊3日もいないの!?」みたいなことが、ここでは全くなくて、「あぁ、行ってきたらいいんじゃない?こっちはこっちでお父さん同士で楽しんでるから~」という感じで。
そういうのが通じる環境っていうのも、より楽しさを増してくれていますね。

もちろん、そこに行きつくまでには摩擦もあって、それまで家にいるのが当たり前だったお母さんが突然、「私にも私の時間をください!」と言って出かけて行くもんだから、最初は子ども達も泣いたりして大変だったんですけど、だんだん順応してきて最近は「お母さんまたいないねー」って言いながら子ども達もそれぞれが楽しんで、そうすると一緒にいる時間がさらに楽しくなって。
僕にゆとりがあることで、家で出来ることのキャパシティーが広がって、彼女にもゆとりが出来て、そこに楽しいことを取り込んでいって、妻が楽しそうだと家族みんながハッピーで。
そういう意味では、妻はこっちに来て本当に変わったし、本当に楽しそうにしているので、家族全体の幸福度が間違いなく上がっていますね。

よく、「前から移住したかったんですか?」、「カレー屋起業したかったんですか?」って聞かれるんですが、3年前まで普通のサラリーマンとして働いていて、そんなことは一切考えたことなかったんですよ。
でも、「ご縁サーファー」っていうのかな、やって来るご縁の波に乗ってるうちに気づいたらこうなってるわけで。自分でコントロールできること、かつ楽しいと思うこと、そこに巻き起こるご縁を楽しんで乗ったもん勝ち。損得じゃなく、楽しいかどうかっていう感性でご縁の波を選ぶことを大事にしています。
「移住」というと不安要素が大きいですけど、不安よりも「楽しむ」ってところにいかに自分の意識を持っていくかですね。いただいたご縁の中でどれだけ全力を尽くせるか、結局はそれに尽きると思います。

循環するご縁が作り出す「未来」

人ってそれぞれに、何かしら誰かにとって新しい気づきとなるものを持っていると信じているんですよ。そういうものを発露するきっかけ作りのひとつとして、受講者が100人になるまで続けるつもりで、「100人カレー教室」っていうのを始めました。
参加は無料ですが、僕がカレーを教えるように、自分が人に伝えられる何か、を考えて来る、という条件があるんです。それをきっかけに「自分と向き合って何か発信してみよう」っていう仲間を増やす、っていう仕掛けなんですね。
そうやって自分のアクションがそれを受け取った人のアクションに繋がる、っていう循環を作っていきたいですね。それが巡り巡って町の活性化に繋がっていくだろうし、町が元気になればカレー屋もまた繁盛するでしょうし、そういうご縁が回るようなバトンを渡していきたいなと思います。
あとは、単純にカレーが好きなのでカレーで町おこしっていうのもしたくて。さっきのカレー教室もさらに人数を増やしていって、気づいたらカレー屋さんがめちゃめちゃあるとか、スパイスを作る農家さんが増えるとか、そういうことが起きたら面白いなぁって。
10年、20年かかるかも知れないけど、佐久がカレーの町になって、どうしてこんなに盛んになったの⁉って遡ってみたら『ヒゲめがね』だった、って伝説的に語られたりしたら面白いですよね。

そうやって発信していくことで、「なるほど、そんな生き方もあるよね」って、誰かがまたチャレンジしてくれたら、そういう背中の押し方もできたらいいなってぼんやりと考えてます。ただ、何年後こうなりたいっていうところから逆算するんじゃなくて、ご縁と今を心から楽しんでいるうちに未来はこうなってた、って数年後の自分に期待したいですね。

DATA

ヒゲめがね  豊田 陽介さん

「カレー屋ヒゲめがね」 店主

豊田 陽介さん

育休中の短期お試し移住をきっかけに、長野県へとIターン。
今では佐久穂名物のひとつとなった大人気のカレー店を営む豊田 陽介さん。
その葛藤と決断、ご自身やご家族の変化していく様子などをお聞きしました。