土蔵移築プロジェクトは新津技建のみならず佐久穂町の取り組みとして地域住民の方にご参加いただきました。それは今回のプロジェクト自体、佐久市の原風景となっていた建物を壊したくないという想いから動き出したことであり、時が流れ、布流久佐の存在意義が問われた時、1人1人のこのプロジェクトでの体験が生きてくるように思えたからです。たくさんの方に関わっていただくなかで建物の歴史がまたひとつ動き出しました。
解体作業を進めていくなかで二度の移築を裏付けるように年数の異なる材木のほぞ組*が顕になりました。日本の木組みによる伝統構法が用いられているからこそ大きな機械を用いず、人の手で解体ができます。木組みを順に外していくなかで大工は当時の技術を目の当たりにし、先代大工と対話するかのように移築プロジェクトを進めていきました。
※ほぞ組:ほぞと呼ばれる突起状の材木の端をほぞ穴に接合する木組みの工法
土台基礎は一番下に河原石が敷かれ、その上に基礎石が2段、クリ、2層のカラマツが重なり、6層構造となっていました。これは建物の荷重を分散させるための昔ながらの建築技術ですが、驚くべきは一番下のクリを除けば土蔵で使われていた材木のほとんどが腐っていなかったことです。現在の建築基準法では耐久性重視のためコンクリート基礎が採用されていますが、結露による構造体のダメージは否めません。地面を塞がない土台基礎に湿度調整可能な土壁を用いることで通気性が良くなり、150年以上経った現代まで材木の状態を維持できたと言えます。